後藤真由美の代名詞である「桜」は清楚で繊麗な細密描画が多く、本意でなくとも観る者は後藤自身のイメージと重ねてしまう。しかし生命とエネルギー、その根源にある自然と密接にかかわることで、自らの細胞を疼かされ創作への意欲を奮い立たせて画面と向き合う時、後藤真由美の本性が晒される。
人目を憚るように人との接触を避け人里を離れた地を訪れては、渓流の狭間や砂浜にイーゼルを立て筆を走らせる。三月東北の山間は膠が溶けないほど指先も悴み、八月の炎天下では黒装束に身を包んでも陽射しが肌に焼きつく。過酷な環境ではあるが、自然の中に身を投じることでしか見えないものに気づかされる。
「生命の存続は闘い。勝ち残れなければ死。残酷ではあるがその瀬戸際に美しさが存在する」(後藤)
眼の前にある現実のビジュアルから発せられる肌に纏わる波動にのみ、表現者としての衝動は駆られる。
美の基準も概念も時代と共に変化する中で、伝統に縛れることなく自由な表現技法を模索しつつも日本画材に拘り、自然の息吹を感じながら異国へと赴く日をイメージして、武者修行の「旅」を続け描く現在のその姿からは狂気を孕んだ美しさが垣間見える。
2020年9月 Office GOTO 広報室